原爆投下から64回目の原爆記念日

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数日間身体の調子が悪く、ブログが更新できませんでした。
原爆記念日については、書き留めたく、被爆に関する記事から。

「僕は長崎の被爆2世」...福山雅治さん、ラジオで明かす

 長崎市出身の歌手・俳優の福山雅治さん(40)が9日放送されたラジオ番組で、自分が長崎原爆の被爆2世であると話した。

 番組は、毎週日曜午後4時から放送されているエフエム東京系の「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」。福山さんは番組の中で、「1945年8月9日は原爆の二つ目が投下された日。父親は被爆しました。母親も、厳密に言うと被爆していることになるので、僕は被爆2世ということになるんです」などと話した。
[出典:asahi.com(2009/08/10)]


被爆者であることだけで、差別されることをご存知の方はどれだけいらっしゃるのでしょうか。
もちろん、福山さんはそれを知っていて今まで語れなかったと思います。

2007年の夏、学生時代の恩師のお誘いで、丸山眞男手帖の会に行ったのですが、その丸山氏も被爆者(広島にて)でした。それはあまりご本人が語らなかったことだったようなのです。

丸山氏が被爆後、広島に訪れたのは、32年後。
被爆が、いかに悲惨な出来事で、個人に深い傷跡を残すのか感じられると思います。
丸山氏は、繊細な思想家だったとも聞きます。下記文章からも読み取れるのではないでしょうか。

8月15日から3日ばかり後に、「ハハシス ソウギバンタンスンダ チチ」という電報を受け取ったことも、被爆の体験をより語りにくくした背景のようにも感じます。


この 32 年の間、(広島に)一度も参りませんでした。なぜ来なかったのか、と言われても、私には答えようがありません。自分でも分かりません。機会は、いくらでもあったにもかかわらず、なぜ広島に来なかったのか。正直なところ本当に分からないのです。
「24 年目に語る被爆体験」(『丸山真男手帳』6)


だけど広島へも数年前( 1977 年)、初めて行った。被爆以来、行く気しないわけ、どうしても行く気しない。広島ってとこはね、被爆してない人が行って騒ぐところなんだ、あれは。ほんとに被爆した人間はとうてい行く気しない。それを、やっと勇を鼓して行った。
「1950 年前後の平和問題」(於広島大学本部会議室)(IPSHU 研究報告シリーズ 25、p.48)






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