東京大空襲から64年

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マリアナ諸島から飛び立った325機のB29が、1945年(昭和20年)3月10日、東京を低高度爆撃しました。
爆撃に使われたナパーム焼夷弾により、木造家屋は次々と火の海に飲まれ、東京では26,700戸が消失、約40平方キロが焦土と化しました。空襲による死者は10万人以上と言われています。

使用されたナパーム焼夷弾は、デュポンとスタンダード石油が開発した新兵器で、着弾時には着火したゼリー上のガソリンが飛び散る仕組みになっていました。

当時の東京は、木造の日本家屋がほとんどだったので、火を付ければあっという間に燃え広がることを認識した上での作戦でした。

1945年東京
(約二時間半で十万人以上が命を奪われた)

参考:東京大空襲(Wikipedia)
アメリカからみた【東京大空襲】第二次世界大戦(YouTube)
「東京大空襲」史上最大の虐殺


ある年配の男性から「夜なのに、お茶の水方面の空が真っ赤に染まっていた」と、この日の出来事を聞いたことがあります。「Remember pearl horbor」─真珠湾を忘れるな─と米国人が言っている映像を見た事がありますが、日本軍が行ったのは、米海軍の太平洋艦隊と基地に対しての攻撃で、非武装の人々に対する無差別爆撃ではありません。

マ リアナ諸島からの攻撃する作戦を重視していた米軍は、記録映画を政策し(ナレーションは、当時大尉のロナルド・レーガン)ています。ナレーションでは、爆撃の目標を中島飛行機の巨大な施設としていますが、これはプロパガンダと言えるでしょう(参考とした動画を参照ください)。

空襲に見舞われたのは、東京のほか、名古屋、大阪、神戸でも。
無念にも亡くなられた方々へ、哀悼の意を表します。


戦争体験者から、肉声で話が聴けるのも時間が限られています
私は過去、こちらで聴いたことがあります。今年の夏にぜひ、どうぞ。


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